歯科医院でクラスター? 口腔ケアで感染症対策

2020年3月にアメリカ・ニューヨークタイムズが公開した記事がきっかけで、「歯科医師はコロナへの感染リスクがダントツに高い」といういわれなき風評が広がりました。

現場で日々奮闘する院長先生は、そのような風評が事実ではないことをよく理解しています。

しかし、風聞の当事者が自ら反論しても、メディアの人間やそのメディアの情報を信じてしまう多くの読者(=患者様)はかえって疑いを深めるかもしれません。「何を根拠に潔白だと言えるのか?」というように。

そこで今回は、診療現場を一歩引いたとこから捉えることができる私が、「歯科医院はコロナの感染リスクが高いという風評は正しくない」という立場から意見を述べたいと思います。

また合わせて、唾液の研究者の立場から、歯科医院で実践していただきたい「感染対策にも効果的な口腔ケア」と「院長先生から歯科衛生士に伝えて欲しい患者教育のポイント」についても紹介します。

コロナと共に生きていかざるをえない時代です。

すべての院長先生が、自医院をどのように舵取りすべきか悩まれていることでしょう。

そんなお悩みを解決するために、今回の寄稿が少しでもお役に立てば幸いです。

歯科医院を「最もコロナに感染しやすい職場」と断じたニューヨークタイムズ

pixta_38433740_M_歯科医師_歯科衛生士_診察中
(画像=pixta)

2020年3月15日、ニューヨークタイムズが「The workers who face the greatest coronavirus risk (コロナウイルスの感染リスクが最も高い労働者とは)」と題した記事を公開しました。

問題となったのは記事中の図表です。図表では「病原菌にさらされる度合い」と「 他者との物理的近接性」という2つの条件に基づき、新型コロナウイルスに感染しやすい職業をランク付けしていました。

そのランク付けでは、歯科衛生士や歯科助手、そして歯科医師は両条件でトップレベルを占め、歯科医院はコロナウイルスの感染リスクが高い職場だと報じられたのです。

「歯科医院はコロナの感染リスクが高い」というイメージは誤解である

もし治療に訪れた患者様が新型コロナの感染者だとしたら。

たしかに歯科医師や歯科衛生士の感染リスクは、一般的な職業に比べればはるかに高いでしょう。

治療の際は顔と顔を接近させますし、タービンで歯を削れば大量の飛沫が宙を舞います。

コロナに限らずウイルスへの曝露リスクが高いことは明らかです。

ここで、大切なことは、確かに歯科医師の暴露リスクは高いが、それと感染リスクは違うということです。

すなわち私は、「歯科医院におけるコロナの感染リスクが高い」というイメージは誤解であると考えています。

リスクが高ければ高いほど安全対策の質も上がる

横断歩道を渡るときの自分を、想像してみてください。

「青→点滅→赤」の順で歩くスピードを上げるはずです。

歩道側の信号が赤になり、車道側の信号が青になってしまうと、いつ車に轢かれるかわかりません。

そうならないように、歩道側の信号の状態に合わせて、歩くスピードを意識的に上げているわけです。

これが人間の心理というものでしょう。

歯科医院における感染対策も同じです。

たしかに歯科の診療現場では、新型コロナウイルスの感染リスクは高いと言わざるを得ません。

しかし、だからこそ、すべての歯科医院が感染対策に細心の注意を払い、かなりのコストを投じて万全の感染対策を講じているわけです。

院長先生もご存知の通り、歯科医院ではコロナが流行するはるか前から感染症対策を実践してきました。

特に10年ほど前からは、機械・器具の滅菌、テーブルの消毒、マスクやグローブの着用など、感染症対策のレベルが一段上がってきたように思います。

そのような状況下の2020年春、コロナ禍が発生しました。

その結果、歯科医院の感染症対策はどう変化したかといえば、すでに十分な対策を実践していたにもかかわらず、さらに徹底した感染症対策が当たり前になっていったのです。

タービンなど口腔内で使う医療器具の徹底した消毒、フェイスシールドや口腔外バキュームの使用などは、その一例です。

患者様の検温や手指の消毒、治療開始前のうがい、十分な換気など、従来の歯科医院ではあまり見られなかった対策も、コロナ禍という新たなリスクによって導入が一気に進んだといえるでしょう。

歯科医院ほどの徹底した感染症対策は、感染症指定医療機関を除いた一般の医科ではあまり行われていません。

ただし、これは一般の医科が遅れているという意味ではありません。

歯科医院の場合は、ウイルスへの暴露リスクが高いからこそ、厳格な感染症対策を取らざるを得なかったのです。

AdobeStock_108716216_Syda Productions_600
(画像=Syda Productions/stock.adobe.com)

歯科医院でのクラスター発生はほぼ「ゼロ」

歯科医院における新型コロナの感染症対策の徹底ぶりは、クラスターの発生頻度の少なさからも推測できます。

インターネットで検索すると、医療機関における新型コロナのクラスター発生を知らせるニュースが数多くヒットします。

一つひとつをチェックすると、「医療機関」の大半が医科の医療機関であることがわかるはずです。

歯科医院の名はほとんど見当たりません。

たとえば、東京都足立区が公表している情報によると、令和2年7月11日から令和3年6月2日までに、足立区内の医療機関ではクラスターが13件発生しています。

この中に歯科医院は含まれていません。このような状況は他の自治体でも同様です。

医療機関における新型コロナのクラスター発生はかなりの頻度で発生しているものの、その中に歯科医院は含まれていません。

歯科医院でのクラスター発生報道をどう見るべきか

ただし2021年に入ってから、以下の通り歯科医院のクラスター発生を知らせる報道が2件ありました。

・4月29日 富山市内の歯科医院で、歯科医師1名、スタッフ3名、患者2名が感染
・5月2日 群馬県高崎市内の歯科医院で、職員9名が感染

これらの報道を受けて「また歯科医院への悪い風評が広がるのではないか?」「自医院の集患に影響するかもしれない」と不安を抱く院長先生もいることでしょう。

しかしながら、前述の通り歯科医院におけるクラスター対策はこれ以上ないほど厳格です。

6万8000(令和3年2月時点)もの歯科医院や歯科診療所のうち、たった2カ所で起きたクラスター(2020年に関西で発生した1件を含めても3件)など、実質的には「ゼロ」と評価しても差し支えありません。

ホームページなどを通じて、上記の情報を広くアピールしてください。

そうすることで、既存顧客である患者様や集患を想定した診療圏の住民が抱くかもしれない誤解を解くことができるでしょう。

患者様に指導したい「コロナに効果的な口腔ケア」

治療する歯科医師と歯科衛生士_AdobeStock_375266663_Paylessimages_600_400
(画像=Paylessimages/stock.adobe.com)

また、患者様ご自身でできる感染症対策の口腔ケアについて情報提供することも、歯科医院の重要な役割だと考えます。

コロナに効果的な口腔ケアといっても、特別なことではありません。普段の歯磨きなど基本的なケアが大切です。

患者様に口腔ケアを指導する際は、次の2点をしっかり伝えてください。

・きちんと汚れを落とせば、口腔内の免疫活性低下を防げる
・唾液の量を増やし、質を高める(IgAを増やす)ことで、新型コロナウイルス感染のリスクが下がる

この2点を、できるだけ専門用語を使わず、わかりやすく患者様に指導してあげましょう。

口腔ケアの必要性・重要性、特に唾液の量と質を高めることが新型コロナの感染症対策になりうると理解できれば、毎日の口腔ケアの励みになるはずです。

院長先生が歯科衛生士に指導する際のポイント

AdobeStock_375266705_Paylessimages_600_400
(画像=Paylessimages/stock.adobe.com)

患者様に対して口腔ケアを指導するのは、ほとんどの場合院長先生ではなく歯科衛生士の仕事です。

歯科衛生士が患者様に口腔ケアを指導する際は、心がけてほしいポイントがいくつかあります。

ぜひ院長先生から歯科衛生士へ各ポイントをレクチャーしてあげましょう。

新型コロナウイルスに関する正しい情報を教えることが重要

ウイルスに対する正しい理解がないと、患者様への指導を必要以上に怖がったり、対応が雑になったりします。

そのような事態を防ぐためにも、院長先生から歯科衛生士に対して、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)および新型コロナウイルス感染症(covid-19)に関する正しい情報を教えてあげてください。

知識があれば、恐怖心は減ります。

最優先で指導すべきは「唾液を増やすための口腔ケア」

口腔ケアの指導では、唾液を増やすことを目的とするケアについてしっかり指導する必要があります。

歯ブラシを使った舌の刺激や、嚥下体操、唾液腺のマッサージ、唾液を増やす食事など、前回の記事(『唾液がウイルスの防波堤? 見直される「唾液ケア」の重要性』)で説明した口腔ケアの方法について、患者様にわかりやすく指導するよう歯科衛生士にアドバイスしてあげましょう。

「口のなかは同じではない」ことを再認識してもらう

歯科衛生士が患者様のお口のなかをチェックしメインテナンスする際、特に注意したいのは「口腔内の個性」です。

口のなかの状態は、一つとして同じものはありません。

教科書で学んだ一般的な知識に頼るのではなく、一人ひとりの口腔内の個性を意識し、隠れたウィークポイントを見逃さないよう、歯科衛生士に注意喚起してください。

特に注意を促したいのは舌の状態です。舌苔は新型コロナウイルスの侵入に必要なTMPRSS2が含まれています。

患者様の舌の状態には細心の注意を払い、適切な口腔ケアを指導できるように歯科衛生士を教育する必要があります。

「時間がない」という言い訳を解消するのは院長の役目

歯科医院によっては、次から次へと診察に訪れる患者様に対して、ゆっくり時間を割いて向き合う時間はなかなかないかもしれません。

しかし、口腔ケアを念頭に置いた診療を実践したいのであれば、できるだけ治療とは別に口腔ケアの時間を確保してはいかがでしょう。

一人あたりの診療時間をしっかり確保できれば、歯科衛生士も患者様に対して丁寧に指導できます。

診療時間が少ないと、どうしてもケアが雑になります。

たとえば、診療中に患者様の口腔ガンを見逃してしまったとしましょう。

「流れ作業で診療していたため、じっくり口腔内を診る余裕がなく、ガンを見逃してしまった」と言い訳したくなるかもしれません。

しかしながら、もし医療過誤訴訟になったらそのような言い訳は通用しません。

口腔ガンと新型コロナウイルスを同列には扱えませんが、患者様一人あたりの診療時間を調整するのは院長先生の役目です。

歯科衛生士が、患者様のお口のなかを丁寧にチェックし、適切な口腔ケアを指導できるだけの時間を確保してあげてください。

withコロナの時代、ピンチをチャンスにするべく実践していただきたいこと

AdobeStock_375270941_Paylessimages_600_400
(画像=Paylessimages/stock.adobe.com)

最後に、いつ終わるかわからないコロナ禍において、歯科医院が意識しなければならないポイントを2つ上げます。

再度確認し、歯科衛生士をはじめとする全スタッフと共有してください。

感染対策の周知徹底

感染対策の徹底を再度周知し、実践しましょう。

たとえば、新しいスタッフを迎えた場合、自医院の環境に慣れていないこともあいまって、感染対策への意識を同じレベルで共有できないこともあります。定期的に全スタッフを集めて、自医院で実践している感染対策を確認しあいましょう。

口腔ケアと一般的な疾患との関係性を理解し、患者様へのケアに活用する

口腔の状態が悪いと、糖尿病、がん、心筋梗塞、認知症など、口腔疾患以外の一般的な疾患に影響することはご存知の通りです。

ただ、一般的な疾患と口腔ケアとの関係について知識はあっても、患者様の治療・指導に活用している歯科医院はまだまだ少ないのではないでしょうか。

たとえば、唾液中には食物内の発がん性物質がつくる活性酸素を分解する酵素ペルオキシダーゼ、カタラーゼなどが含まれています。

口腔ケアで唾液を増やし、これらの酵素の活性を高めれば、活性酸素の活動を抑制することが期待できます。

こうした知識を持っている患者様はきわめて少数です。

「歯科医院は虫歯や歯周病、歯並びを治しに行くところ」そんな意識の方が大半でしょう。

口腔ケアで唾液の量と質を高めることが、さまざまな疾患の予防につながるとしたら。

そして、そのアドバイスを医科ではなく歯科医院で受けられるとしたら。

患者様の歯科医院に対する見る目もかなり変わるのではないでしょうか。

「患者様を病気から守る伴走者」になってください

治療について確認する歯科医師と歯科衛生士_AdobeStock_375261707_Paylessimages_600_400
(画像=Paylessimages/stock.adobe.com)

2回にわたって口腔ケアの重要性、特に新型コロナを予防する可能性について説明しました。

院長先生にとっては既知の話が多かったかもしれません。

しかし、今回説明した内容をもれなく実践できている歯科医院はどれだけあるでしょうか?

歯科大学のカリキュラムで、一般疾患と口腔ケアの関係について教育を始めたのはここ10年ほどです。

また、予防歯科を標榜するのでもないかぎりは、口腔ケアについて十分時間を割けない事情もわかります。

しかしながら、コロナ禍は歯科業界と患者様の関係を完全に変えてしまいました。

コロナとの共存を模索する時代において、歯科医院ができること、すべきこともまた変化せざるを得ないのです。

これからの歯科診療においては、治療前にカウンセリングなどの形で患者様に予防歯科の指導を行ったり、口腔ケアと一般的な疾患との関係についてレクチャーしたりすることが当たり前になるかもしれません。

ある意味、患者様を病気から守るための伴走者であるともいえます。

そのようなきめ細かな診療が他医院との差別化になり、集患や定期検診増加にも少なからず貢献するのではないか。

そのように私は予想しています。

【おすすめセミナー】
・【無料】たった4カ月で歯科衛生士276名の応募獲得! 歯科衛生士・歯科助手採用セミナー

槻木 恵一

神奈川歯科大学 副学長 / 研究科長 / 教授

1993年神奈川歯科大学歯学部卒業。神奈川歯科大学副学長・神奈川歯科大学大学院環境病理学分野教授。2013年より同大学歯学研究科長、2014年より同大学副学長。専門分野は口腔病理診断学・唾液腺健康医学・環境病理学。

2011年とうかい社会保険労務士事務所(多治見市)開業。開業後3年で年に数千万を売り上げ、異例の速度で業務拡大。

プレバイオテックスの一種であるフラクトオリゴ糖の継続摂取による唾液中lgAの分泌量増加とともに、そのメカニズムとして腸管内で短鎖脂肪酸が重要な役割を果たすことを明らかにし、「腸―唾液腺相関」を発見。

近年「唾液健康術」「脳機能にも影響を与える唾液の重要性」「口腔ケアでコロナ対策」等、メディアで積極的に唾液の重要性を発言。あきばれ歯科経営onlineでも口腔ケアの重要性を寄稿頂く。

2021年4月28日 唾液の健康効果を広めるため、歯科医師などの医療従事者に唾液ケアの方法を系統的に学ぶ機会を創出するため、「日本唾液ケア研究会」を設立。