七転び八起きの歯科医師人生

こんにちは熊本で歯科医院を経営しております山崎芳徳と申します。

この度、あきばれさんで私共の活動をご紹介いただけるということになりました。

心から感謝申し上げます。第一回目の今回は、私が歯科医師になった経歴や生育などについてお話しさせて頂きたいと思います。

私が歯科医師を志した理由

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(画像=pixta)

なぜ私が歯科医師になったかと申しますと安定した生活をしたがったからです。

私の父は電管工事、土木工事、仕事の斡旋、国会議員の秘書など様々な仕事を手がけていました。

私自身高校時代私は勉強をしていなかったのですが、父に「後を継ぐなら熊本大学の工学部へ進学して欲しい」と言われていました。

しかしながら気が荒い人達を束ね、毎日金策に走り回る精神的にハードな仕事は私にはできないと父は判断していたと思います。

そんな折、父のかかりつけの病院の院長先生が父との会話の中で「歯医者はいいよねえ」という話をしていて、それを聞いた父は私に歯医者がいいらしいぞ歯医者にならんかと言ってきました。

それは高3年の夏頃でした。

これまで歯医者になるための大学の偏差値や情報を見たことがなくてまた歯科とは全く縁がありませんでした

秋も深まった頃、ある病院の先生が学費を貸してくれる話を父が持って来ました。

金銭的な問題は大きかったので、自分でも勉強さえ頑張れば歯科医師になれるかも?という到達できそうな目標ができた瞬間でもありました。

無事に歯科医師になった後訪れた困難

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(画像=pixta)

無事入学・卒業をし、卒業から2年後に開業をしましたが、直ぐに歯科の経営がきつくなりました。

私自身「困っている人からお金を頂くこと、それで得た利益を喜んでいる事が本当に自分がやりたかったことなのか?」

「必死に資格をとって、仕事ももの凄く頑張っているのにお金が残らない一方で、株をしている人は電話一本で大もうけをしているのはどういうことだろう」と、様々な壁にぶちあたり、「何のために仕事をしているのか」がわからなくなったのです。

他事業の成功から8億の負債

そんな中、軽い気持ちで立ち上げた事業が上手くいき不動産やその他で多額の収入を得ることになりました。

とても短い期間でしたが純資産4〜5億までになったものの、その頃から家庭も自分も崩壊していきます。

そして瞬く間に全ての資産を失い8億の負債を抱えることになりました。

弁護士さんからは楽になるために破産を強く薦められました。

ある時父の知り合いで金融業を営んでいる方から「君はいくつだっけ」「32才です」「32才かあまだまだ先は長いぞ、折角だから困難な道を選んでみないか失敗したらまたその時考えてらいい。時間は十分にある」とアドバイスを頂きました。

何故かは知らないけど心に染み込んできました。損得の感情がなく素直になっていたのかもしれません。

そして私はダメ元で破産しないでやって行くことを決めました。

不思議なもので、この後も様々なできごとが起きますが、次から次へと色んな情報や出会いが目の前に訪れてくるのです。

これは「情報が訪れてくるのではなく、自分のアンテナの周波数が変わりパワーが増しこれまではスルーしていた情報をキャッチするようになったのだ」と後から気がつきました。

こんなこともありました。

縁があって中国で合同会社を設立し短期間でお金を得ましたが事業が絶好調の時、また人生の先輩からのアドバイス元に事業から撤退したのです。

これで8億あった負債は約2億までになりましたが、撤退がもう少し遅かったら大変なことになっていただろうと後に中国の友人から聞きました。ラッキーでした。

その時も私は損得では判断せず、先輩のアドバイスに素直に従っただけでした。これが結果的に私を救ってくれました。

順調な歯科医院経営と父の会社の倒産

その後、歯科一本でやっていく覚悟をし、5階建ての自社ビルを建設してスタッフも患者さんも増え、傲慢になり、またもやまたもや浮き足立っていた頃、父の会社が倒産しました。

私自身も約2億の連帯保証人になっていたので、「全てが終わった」と 正直思いました。

しかしまたまた救世主が現れたのです。

それも何人もそれから沢山の気づきとアドバイスを頂き、その後約30年の時間を費やし現在は個人負債は無くなりました。

医院も純資産が1億を超えてきました。

「利己が目的では長続きしない」という気づき

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(画像=AdobeStock

プライベーとでは子供達は歯科医、小学校の教員、医師となり ホッとしてしています。

医院は様々な変化をしながらなんとか運営をし、「自分や自分の身内が必要以上に潤い楽になるために歯科医院を経営する」という利己が強い目的では長続きしないことにようやく気づいたところです。

かといって利他100%なんてあり得ないことです。

その配分は経営者の価値観により決まりそれが医院の特徴、理念になって行くものだと思います。

自分の器の形にあった経営しかできません。

より以上のものを求めるのなら器の形を変えて行くしかないと思います。器は人間性と考え方ではないかと思います。

京セラ創始者稲盛氏の元で学んだこと

京セラの創始者であられる稲盛さんが塾長となって存在していた誠和塾で私は約10年間学ばさせて頂きました。

中でも

仕事の成果、人生の結果=考え方✖️情熱✖️能力 

そしてその重要度は 考え方>情熱>能力 

という考え方はとても腑に落ちました。

盛和塾で共に学んでいるメンバーの多くが経営はきついと言ってます。

私自身、高校生の時には単純に楽に生活をするために歯科医を選んだのですが楽にはなりませんね。

諦めました。経営者は楽にならないものだ、と。

それでもこれまでを振り返ってみれば恵まれているなあと 本当に思います。

次回はこれまでの試行錯誤を通じて私が気づいたことをいくつか ご紹介させて頂きたいと思います。

山崎 芳徳

やまさき歯科・矯正歯科理事長
歯科医師

借金8億円、医院の閉鎖、詐欺被害など、壮絶な過去を乗り越え、現在、年商2億円、スタッフ30人の歯科医院を経営する。月間の平均レセプト数は1000枚。シリコン義歯の症例数は九州トップクラスの実績を誇る。

患者さんと歯科医院のより良い関係性を得ることを目的とし歯科専用の苦情コールセンター(日本歯科医療相談センター)を立上げた。

患者さんからの言い出せなかった思い、苦情、クレーム等を365日受け付け内容報告や対応のアドバイスを行い患者さんの思いを受け止めて頂き会員歯科医院の経営の向上に役立ててもらっている。

ご意見をコールセンターでも受け付けている歯科医院であることを患者さんに紹介し他の歯科医院との差別化を図っている。

このサービスを全国へ広めるため“歯科ホットライン“(監修:日本歯科医療相談センター)の広報活動、サービスの説明、入会受付窓口対応を歯科サポへ一部移管、業務提携。